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エンテベ作戦

 30年前の1976年7月3日は有名な「エンテベ作戦」が遂行された日だ。これは後に3本もの映画にもなり、世界的に有名な人質救出作戦だ。
 元は非常な迅速さが要求されたため「サンダーボルト作戦」と呼ばれた。当時この作戦遂行中に殉職した中佐の名をとって「ヨナタン作戦」とも呼ばれている。

 1976年6月27日(日)テルアビブ発アテネ経由パリ行きのエアフランス139便が、アテネ空港離陸後20分の地点でハイジャックされた。犯人は2人のドイツ赤軍のテロリストと2人のパレスチナ解放戦線のアラブ人テロリスト。彼らの要求は服役中のテロリスト53名―イスラエル40、西ドイツ6、ケニア5、スイスとフランスかく1名―の釈放だった。
 彼らはリビアのベンガジで給油後、乗客228人と乗務員12人全員をウガンダのエンテベ空港に連れて行った。ウガンダは独裁者イディ・アミンの支配下でテロ友好国家だった。そこで他のテロ仲間も加わりウガンダ軍もテログループに協力した。
 テロリスト達は約100名のユダヤ人及びイスラエル人とそうでない人達に分けて、ユダヤ人とイスラエル人以外をみな釈放した。
 人質はエンテベ空港の古いターミナルに監禁された。

 イスラエルはそれまでも一貫してテロリズムに対しては一切譲歩しない立場をとってきた。しかし今度ばかりは、政府の首脳達は非常に苦しんだ。3800kmも離れたウガンダへの軍事行動は不可能だと思われたからだ。しかしシモン・ペレス国防相は救出作戦を決してあきらめなかった。
 そして、ウガンダとの交渉と共に秘密裏に救出作戦計画も同時に進められた。
人質の家族からの圧力もあり、閣議はテロリスト要求の囚人釈放の方へ傾いていたが、最終的には救出作戦遂行は承認され実行された。

 特殊部隊は4機の軍事機でエンテベに向かい、「サンダーボルト」の名の通りものすごいスピードでテロリスト達を倒し人質を救出した。犠牲者は出たが考えられないほどの少数で、その成功は世界中に認められた。そして世界中のテロ対策への認識を変えた。

 まだ書くことはたくさんあるが続きは次回に載せる。
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ヨハナン

Author:ヨハナン
「イスラエルの風」へようこそ
ヘブライ語教室マアヤン・リナーの講師、児玉直純です。
福岡で、おそらく九州で唯一のヘブライ語教室です。また翻訳・通訳をしています。
http://www1.bbiq.jp/maayan-rinnah/index.html

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