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イスラエルにおけるテロ研究(2)

 「うわあっ、これじゃテロのし放題だ。」10年前、私が日本に帰国して最初にもらした感想だ。デパート等の建物、電車や地下鉄、誰もが自由に出入りできる。日本では絶対にテロは起こらないと思っているのか。しかし2年ほど前地下鉄サリン事件が起こったばかりだ。
 イスラエルではモールやスーパー、学校・病院などの建物に入るときは大抵荷物チェックがあり、みな当たり前のようにチェックを受ける。
 日本では「人権・プライパシー」のほうが「人命」よりも大切なようだ。中学生のナイフ殺傷事件が続いたときでさえも、学校で登校時の荷物検査を始めたら、「プライパシー侵害」の声が上がりチェックは中止になった。ごく少数のイデオロギーの声が社会全体に影響を大きく及ぼしている。

 私がイスラエルに行って間もない頃、キブツ・イタヴという小さな開拓キブツでボランティアとして働いことがあった。キブツ員はみな兵役を終えたばかりの20代前半の若者ばかりで40名ほどが運営管理していた。いわゆるヨルダン川西岸地区でエリコの北10キロ、ユダの荒野の真っ只中に位置していた。今はパレスチナ自治区内なのでキブツは存在しないと思うが、当時は周囲にアラブ人の村がいくつか点在していて、キブツに対しては友好的な村もあれば敵対心をあらわにしてくる村もあり、キブツに対する発砲事件がしばしば起こっていた。
 私もある明け方の3時ごろたたき起こされ、キブツの真ん中にあるシェルターに連れて行かれたことがある。シェルター内はみな女性ばかりで手にはピストルを持っていた。男は外で銃を持ち見張りをしていた。「俺も男だから」と言うと、シェルター内の女性イスラエル人たちは「心配するな、私達が守るから。お前は武器を持っていないだろう」と言ってピストルを私に見せ、皆で私を真ん中に囲んだ。緊張した時間が続いたが幸い何事も無く終わり、皆そのまま平気で早朝の仕事に出かけていった。このような現実の中に生きているイスラエル人のたくましさにいたく感動した。

 イスラエル人は非常な「理想主義者」でありイデオロギッシュでもあるが、それ以上に「現実主義者」でもある。だからこそ2千年ぶりに祖国を再建することが出来た。日本人も「現実主義者」にならなければ事が起こってからでは遅すぎる、という気がしてならない。
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イスラエルにおけるテロ研究(1)

 「1988年にイスラエルのモサッドは米国のCIAにビンラディンに関する情報を伝えた。しかし米国はテロが起きるまでその意味を解さなかった。」イスラエルのテロ専門家、シュモエル・バル博士はイェディオット・アハロノット紙の記事でこう語っている。博士はイスラエルのある情報機関で30年間特別任務についていた。
 バル博士によると、ビンラディンのみならずアラブのテログループに関する情報は欧米諸国に伝え続けているが、彼らは情報を無視し、事が起こって後にやっとその重大さを理解するとのこと。ロンドンのテロ事件についても同様。
 また博士は米国の情報機関のイスラムテロに対する深刻な問題に言及している。米国ではアラブ専門の博士以上の学位を取得する人が年間6人しか出ない。アラビア語の資料を読みこなせる人が圧倒的に不足している。それ故に欧米諸国はイスラエルの情報機関を頼らざるを得ない。
 比してイスラエルの情報機関は、有名なモサッドを初め、軍、警察、シャパック等数多くあるが、イスラム・アラブ問題に関しては何れも世界で指折りのレベルだ。それぞれの機関における学術研究も然ることながら、現場における仕事を基礎とした研究を続けている。実際に世界中のイスラム圏の人々に様々な内容のインタビューをして、彼らの世界観を分析している。イスラムテロに関しては世界では今日になってやっと注目され始めていることを、イスラエルではすでに15年以上も前から着目し研究し続けている。

 テロに関しては専門家の世界でもイスラエルは世界のトップレベルだが、イスラエル一般国民についてもものすごいレベルの高さが窺える。平和ボケした日本人の目から見ると特にそう感じる。
明日は私の体験談を少々。

ユダヤジョーク9

 今日は久しぶりにジョークを2つほど

 1つ目
 一人の女性がギャラリーに入り、額をじっと見つめていた。
 しばらくして馬鹿にしたように係員に言った。「これを芸術と呼ぶの?」
 係員は答えた。「いいえ。それは鏡と呼びます。」

 2つ目
 一人の男が道を歩いていると突然大声が聞こえた「止まれ!」
 男は驚いてその場所でストップした。その瞬間男の数センチ前に冷蔵庫が落ちてきた。
 男は更に驚いて「いったいどこから声がしたんだ?」と声を上げた。すると彼の守護天使が目の前に現れた。
 天使を見ると男は顔を曇らせ、いきなり顔に拳骨を喰らわせた。
 天使が起き上がって訊いた「何をするんだ。今お前を助けたばかりじゃないか?」
 すると男は悲しそうに天使に訊き返した「俺が結婚したとき、どこにいたんだ?」

テルアビブでの自爆テロとその後

 19日の午後4時ごろテルアビブの旧バスセンター付近で自爆テロがあり30人が負傷した。テロリストがトイレで自爆準備中に誤爆したため奇跡的に被害は少なかった。モファズ国防相は「テロはイランが金を出しシリアが計画した」と非難した。来週のパレスチナ選挙に向けてテロの増加が懸念されている。

 イスラエルの強さは、テロの数時間後にはもう普通の生活に戻っていることだ。皆いつものようにその夜は外に出て仕事後の余暇を過ごし、テルアビブの街は普段通りの賑いを見せた。「普通の生活をすることがテロによる痛みを乗り越えさせ、またテロリスト達に対する戦いの意思表示でもある」とテルアビブ住民は新聞のインタビューに答えている。

 この記事を読んで91年の湾岸戦争のときのことを思い起こした。スカッドミサイルが飛んでくる中、イスラエル国民は「普段の生活を送ることが我々の戦いだ」と言って恐れることなく平然と過ごしていた。ガスマスクをつけたり密閉室にこもったりと日本では出来ない体験をしたが、何よりもイスラエル人たちの姿が一番心に焼き付いている。

イスラエル民族の精神性

 昨日イスラエル国防軍のラジオ局で興味深い記事を見つけた。それは15年前シャロン首相が、政治とは無関係に見える音楽についてインタビューに答えているのを再現したものだ。
 シャロン首相といえば25年間軍一筋の道を歩み、政界に入ってからはリクード党結成に奔走した超強硬派というイメージの人だ。ところが実は非常に芸術家肌で、趣味はクラシック音楽の鑑賞だという。時には自宅にオーケストラの団員を招いて音楽会を開いたりするほど。
 音楽を好きになったのは父親の影響だそうだ。父親はクファル・マラルというテルアビブ近郊の村で農場を営んでいた。時代はイスラエル建国前で開拓途上だった。1日中汗水流しての重労働を終えた後、首相の父親は村にあったぼろ小屋に入りバイオリンを奏でていたという。初めは一人で弾いていたが、そのうちに何人もの人が集まってきて一緒に音楽を奏でながら皆で明日への希望を膨らましていた。
 実はこのような逸話は数多く残されており、建国前の初期のキブツ(集団共同村)では、昼間は腰まで泥沼につかって労働をし、夜は皆でイスラエルのフォークダンスを朝まで踊り明かし、また労働に出て行ったという(日本で知られるマイムマイムもそのダンスの一つ)。
 シャロン首相は、そのインタビューの中で「当時物質的には貧しい時代で何も無かったが、文化的精神的な富は非常に豊かだった」と述べている。その精神的影響を受けたシャロン首相は子供時代は夜中は村の見張りをしながら昼間は学校に通って勉強し、後にはへブライ大学の法学部を卒業し首相にまで上り詰めた。
イスラエル民族を突き動かすエネルギーはものすごい。何とかその秘密にあやかりたいものだ。

近日のイスラエルニュース

 忙しい日々が続きここ数日はブログの書き込みが出来なかった。
 今日は久しぶりにネットでじっくりとイスラエルのニュースを読んだが、残念なことになかなか明るい話題にぶつからない。
 シャロン首相は、自力で呼吸し治療による刺激には反応したそうだが、麻酔投与を止めてもなかなか目を開けないので、医師達も心配を隠せない様子とのこと。
ガザからはカッサム砲の攻撃が続いており今日も3発打ち込まれた。大きな損害は出ていないが、近辺の住民は不安な日々を過ごしている。
 政治関係では3月の総選挙を前にして各党の候補者を決める予備選挙が開かれ、10チャンネルのニュース番組や他のラジオ放送などはその内容で結構にぎやかだった。
 シャロン首相がこのまま政界に復帰できなければイスラエルは政治面でも外交面でも更に困難な状況になる、とイスラエルの友人達が言っていた。
 しかしイスラエルは困難なときに大きな力を発揮して続いてきた国だ。今年はその大きな力を見る年でありたい。

ユダヤジョーク8

 テルアビブにある大会社に700の履歴書が届いた。
ワンマン社長が人事部長に言った「先に届いた30人だけ面接しよう。残りは捨てろ。」
部長は驚いて言った「しかし、その670人の中に逸材がいるかもしれません。」
社長は答えた「そうかもな。しかし私は運の無いやつは要らないのだ。」

シャロン首相の容態2

 今日(1月6日)現地時間の昼過ぎ、再び突然の脳内出血によりシャロン首相が手術室に運ばれた。現地時間の16時45分頃(日本時間23時45分)病院側から、手術が終わり今CT検査をしているとの発表があった。
 イスラエルもまもなく安息日(シャバット)に入る(今日のエルサレムのシャバット入りは現地時間17時33分)。今はただシャロン首相の回復とイスラエル・中東の平安を祈るのみ。

シャロン首相の容態

 すでに日本のニュースでも報道されたが、シャロン首相が脳内出血で入院し緊急手術が行われた。手術は7時間以上に及び危険な容態だったため、一部でシャロン首相の死去のうわさが流れたようだ。そのため現地時間14時(日本時間21時)にハダッサ病院長が正確な情報を発表した。「重症ではあるが安定した容態であり24時間は麻酔で眠っている」とのこと。何れにしろ危険な状態であることには変わりはないようだ。
 一部を除いてほとんどのイスラエル国民が首相の回復を祈っている。イスラエルの友人達と電話で話したが、皆が真っ先に口にするのは「首相の回復を祈る」という一言。
 イスラエルでは政治的な立場などが違い日ごろは非難の声を上げたりしても、「イスラエル国民が選出した」という意識が強い。時の首相に対してはその実績のプラスマイナスを冷静に評価する。もちろん評価の内容は立場によって変わってくるが、特にこのような状況になると不思議と国全体に一体感が生じ、日本では体験できないような雰囲気になる。
 私もイスラエル国民と心を1つにしてシャロン首相の回復を祈る。

2005年のテロによる死者数

 シャバック(イスラエルの諜報機関。FBIのようなもの)の報告によると、2005年のテロによる死者数は45人で2004年の117人の40パーセントまで減った。インティファーダの最盛期2002年は450人の死者が出たが、ここ3年は毎年かなりの割合で減数が続いている。パレスチナ側の鎮静が主な理由。またシャバックとイスラエル国防軍共同のテロ未然防止作戦が功を奏しているとのこと。
 しかし自爆テロは事前に防止されているが、ガザへの武器の密入は増加し、入植者撤退の9月以降は5トンの爆薬やその他ミサイル・銃など多数エジプトから入っている。

謹賀新年

 新年明けましておめでとうございます。
 昨年中はこのブログを書きはじめ、まだまだ浅薄な内容なのにたくさん訪問していただきありがとうございました。
 本年もよろしくお願いいたします。

 ちなみにイスラエルでは新年はユダヤ暦に従って祝うので9月か10月になる。西暦の1月1日はお祝い事はせず全くの普通の日。
 ちなみに今年の元旦はハヌカの第7日目に当たるが、ハヌカは旧約聖書に書かれていないお祭なので休みはない。
プロフィール

ヨハナン

Author:ヨハナン
「イスラエルの風」へようこそ
ヘブライ語教室マアヤン・リナーの講師、児玉直純です。
福岡で、おそらく九州で唯一のヘブライ語教室です。また翻訳・通訳をしています。
http://www1.bbiq.jp/maayan-rinnah/index.html

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